ここはベトナム ホーチミン

偉大なるホーチミン の名を冠したベトナム最大の商業都市。
ホーチミンは、ベトナム戦争後に改名されており、ヤンゴンといったほうがもしかしたら、分かりやすいかもしれない。

ベトナム戦争終結時、世界に発信されたニュース
ヤンゴン陥落
そう、アメリカ軍が本拠地を置いていた都市がヤンゴンだったのだ。その都市が陥落した。つまり、ベトナム戦争の終結をさしていた。
今は、その忌まわしい記憶となった名を変え、偉大なる指導者の名前が授けられている。ただ、その経済の高さは、西側資本がその当時に入っていた延長線上になりたっているのも忘れてはいけないだろう。

当時の南ベトナム大統領府兼総司令部、俗に言うホワイトハウスを見学してみた。当時の状態をできる限り残している。当時の作戦室や会議室、閣議室、執務室、謁見室等様々な部屋が設けられ、最上階には当然ヘリポートも設置されている。
それが地上階にある。こういう建物では、当然、有事の際に呑気に標的になる地上の建物なんかで指令は出さない。
すべて地下で機能するように設計されている。この地下室の司令部も見学したが、まさしく「007」で出てくるような地下司令部だ。それに興奮しつつ、ガイドしてくれた人がここからは立ち入り禁止ですが、ここから外に逃げる脱出路が無数につながっていると説明されました。
本当に何でも揃っていた。射撃場まで搭載されていた。なんともはや。

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ベトナムは、戦争の歴史にいやでもあたる。でも、それから、目を背けちゃいけない気がする。除草剤で、地雷で、人々が被害になった。今でも、少なからずある。けど、ベトナムの人は、強く生きていたし、元気だった。

この建物もベトナムの歴史のひとつだ。立派な大聖堂。信者も熱心に信仰し、ミサにも大勢参加していた。
僕は建築様式の知識はないし、それほど興味があるわけでない。キリスト教の歴史は、この旅で勉強したから、なぜこの地にと思うことは少なくなったけど、信仰が続いていることは、すごいと思った。

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ホーチミンの町は、今まで見たベトナムの町では、もっとも大きく、そして、大都会だった。どこに行っても、ビルは存在していたし、用事のために立ち寄ったJALのオフィスは、地上15階建てのヒルトンホテルの中に入っていた。

この旅で、こういう1流ホテルに行く機会なんて、まったく無い。
だから、こういうホテルに入れる格好なんてしていない。まぁ、そこまでドレスコードなんていわれないけど、確実に浮いてしまう。
だって、ベトナムは常に水着にランニングで、しかも、ちょっと?匂っただろうし。現地人と変わらない匂いをかもし出していた。
だから、こんな現地の食べ物を市場でおいしく食べられるんだけどね。

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チェー(甘い、なんでもありの豆乳パフェ)
豆乳のそっけない味に甘い糖蜜、いろんなゼリー、天然のタピオカ、ナタデココ等もりだくさん。お値段、一杯40円、デラックスで+30円。
ちなみにこれは、観光して散歩しまくってた時にニアミスしていたおじさんにご馳走してもらいました。
日本人の人情深さに感動しつつ、すっかりご馳走になりました。
ホーチミンは、社会主義的雰囲気が薄いものの、常に世話しなく動いているイメージで忙しい落ち着かない町でした。
これから、カンボジアに向かうけどベトナムらしさが感じられにくい、けど、住む分には、都会だから便利そうな感じでした。経済の中心だから、競争がやっぱり激しいせいだろうな。
だから、ベトナムのツアーバスは発達していて、サービスがいい。水やお菓子、お絞りのサービスが必ずついてくる。しかも、安い。ベトナムをバスで縦断し、ぼくが留まった場所にすべて途中下車しても25ドル、3000円でおつりがくる。物価の違いは、歩けどやっぱりすごいもんだ。

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この記事へのコメント

山桜
2008年02月02日 22:48
確かに忙しなく動いてる。信号なんてないような感じでのんびり歩けない。
食よく 人よく メコンツアーもよく2泊
だけど弾けたなぁ~
拓也
2008年03月17日 09:28
ベトナムの首都圏でも、そんなに物価が安いんやな。日本とは違うなぁ。でも、ベトナムはこれからの国やからなぁ。これからが発展していく時期やろうなぁo(^-^)o

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